当神社の由緒

その昔・・・

玉尾御前(姓氏不詳)の御子の乳母として伊勢の国から土佐に入り、今の高知市一宮に住んでいたが、天明元年(1781年)乳母も老婆となり山に追放され、現在の鎮座地を永住の地と決めた。

その後、神去り(身罷る、亡くなる)て御神徳顕現により藤左衛門と云う人によりて奉祀されたという。

 

 
御神徳だが、漁師が海に出て進路を見失えば、この細藪山の岩(御神体)より光が発せられ無事に家路につけたと云う。

また、この部落に住んでいた農家は毎年豊作に恵まれたが、あまりにも実るもので怖くなり畑に火をつけた。それ以後作物は育たなかった等色々と語り継がれている。